これからの道 part7
2011年 09月 12日
JACQUE FRESCO氏 工業デザイナー
現代、多くの人は“冷たい科学”と呼ぶ。それは、分析的だからであり、分析的とは、何を意味するか知らないからだ。科学とは、世界が動く方法を推定することである。科学は真実とは何かを語る。科学者は、人々とうまくやろうとしない。科学者は、何を発見したかを話す。すべてに疑問を持つ。ある科学者が、ある有効な実験結果を導きだしたら、他の科学者は、同じ結果が出るかどうか実験を再現しなければならない。
また、科学者は、飛行機の翼が、数学や慎重な計算によって、十分に過重に耐えられると思っても、まだ重しを載せていく。いつ翼が壊れるか見るために。そして、“私の計算正しいどうかだよ”と言う。この方法が大好きだ。
先入観と、数学はすべてを解決できる、という考えから自由だから。数学自体をテストしなければならない。テスト可能なシステムは、すべてテストするべきだと私は思う。そして、すべての決定は、事前調査の結果なされるべきだ。
資源ベース経済は、科学的手法を社会に当てはめたものである。
科学的アプローチは、今の世界では完全に抜け落ちている。社会は、技術的な発明の一つである。人類の健康や生産物、供給やインフラなどの最も効率的な方法は、科学とテクノロジーの分野にある。政治や金融経済にはない。社会は、システマティックな方法で運営される。共和党員や自由主義者の方法ではない。
同様に自然は、我々の科学を証明するために使うものである。自然は、固定したシステムだ。これは、我々の理解が進むと姿を現してくる。あなたが主観的に真実だと思っていることは、考慮しない。
選択肢はある。自然法則や、自分の管理を学び、方向付けることができ、法則に沿い、例外なく、健康と持続性を創造する。その流れに逆らうこともできるが有益ではない。あなたが信じているかは、問題ではない。壁を歩いて登っていってみよう。重力の法則が許さない。もし、食べなければ死ぬ。もし、幼児が世話をされなければ死ぬ。苛酷に聞こえるかもしれない。
自然は、専制的である。我々は、その声を聞き、ハーモニーを生み出すか、必然的な逆の結果に苦しむかだ。
そう、資源ベースの経済は、証明されたものの積み重ねにすぎない。決定は、最適化された人類と、持続可能な環境により下され、それにより調和のある生活を送る。
そして、“ライフ・グラウンド”を取り入れる。政治宗教が違っても、すべての人類が必要なものとして共有してきたものだ。ここに文化的相対主義は含まれていない。これは、見解の問題ではない。
人類に必要なものは、人類が必要なものだ。必要なものが手に入る環境が必要だ。きれいな空気、食糧、清潔な水など。自信を持って促進し、安定して育成でき、暴力の無い環境が私たちの精神的肉体的な健康や、進化論による適合、種の自己保存に求められる。
JACQUE FRESCO氏
資源ベースの経済は、入手できる資源をもとにする。
必要なものが手に入らない島に、たくさんの人を連れていったり、人口5万人の街は作れない。
私が“包括的システムアプローチ”という言葉を使うとき、その地域にある資源から考えることを指している。
また、何を産出するか明らかにする。
建築的アプローチだけではなく、デザイン的アプローチだけでもない。しかし、デザインは、人間の生活を高めるために必要なものを基礎にしなければならない。これが私の一貫した考え方である。
食料、服、家、暖かさ、愛―すべて必要なものである。人々から、どれを奪っても、それは人間以下の行為であり、人として劣っている。
前もって要点を述べると、資源ベースの経済はグローバルであり、科学的システム、生産物や供給は、真の経済的メカニズムにもとづいている。
資源ベース経済 -経済的変異― (可変の経済?)
生産:
戦略的維持;安全;能率
供給:
戦略的近接;交通

そして、効率と、すべての経済区域の持続可能性を保証する戦略にもとづいている。
この論理的なデザインに関して考え続けると、次の問題はなんだろう? これを実現するのはどこか?
都市だ。
都市の出現は、近代文明の未来を明らかにする。都市の役目は、生活物資への効率よいアクセスを可能にすることだ。社会的サポートと地域の交流の増加を伴って、理想的な都市をデザインするにはどうしたらいいか? どんな形にすればいいだろう。 四角? 台形?
私達が、目的物の回りを動くようになる、と仮定すると、簡便のために等距離を作った方がいい。
つまり円だ。
都市は何を含むのか?
まず、居住エリア、製品を作るエリア、エネルギーを作るエリア、農業エリアが必要だ。しかし、私たちは人間として育ってきているので、文化、自然、娯楽、教育も必要だ。そうだ、すてきな公園も作ろう。文化と社交のためのエンターテイメント/イベントエリア、そして、教育機関、研究機関、私たちは円上に活動しているので、これらの機能を環状に配置するのが合理的なようだ。
配置は、機能同士のアクセスの容易さによって決定される。とてもいい。
よし、細部に取りかかろう。
まず、インフラや都市の内部構造の核について考えることが必要だ。これは、水、製品、ゴミ、そしてエネルギーを送る経路である(図参照)



現代は、上下水道システムが都市の地下にあるので、この経路をゴミリサイクルと輸送の経路と統合できるだろう。配達人やゴミ回収はもう必要ない。システムに含める。さらに、自動化された空気力学によるチューブ技術も使える。同じく輸送に使用できる。無駄と、個人使用の自動車を減らすため、組織化され、戦略的にデザインされる必要がある。電気路面電車、歩く歩道、トランスベイヤーやリニアモーターは、都市のあらゆるところに行け、上下の移動もできる。他の都市にも繋がっている。
そして、もちろん、車に関しては、衛星を使って、安全に、完全に自動化する。実際、この自動化技術は現在も使われている。自動車事故で毎年、120万人が死に、5000万人が怪我をしている。これは馬鹿げており、事故を起こす必要は無い。効率的な都市デザインと運転手の要らない自動車により、死者数はほとんど0になる。
農業。AGRICULTURE
現代、行き当たりばったりのコスト削減のために、殺虫剤や農薬を使ってきた。この過度の化学肥料や、sの種の手段は、耕作可能な土地を破壊し、私たちの身体を破壊してきたことは言うまでもない。
産業と農業による科学毒素は、事実上、すべての人間を侵している。幼児も含めて。
幸運なことに、すばらしい第二の選択肢がある。土の要らない水耕栽培や空気耕栽培だ。これは、必要な栄養剤や水を現在の75%にまで減らすことができる。

食料は、産業工場のような規模の縦型の農場で有機的に育てられる。50の農地を1エーカーの土地にまとめられる。事実上、農薬と炭化水素の必要を無くすことができる。これは、未来の工場的食糧生産だ。効率的、清潔、豊富に収穫できる。この進歩的なシステムは、部分的には、農業ベルトからなり、すべての食料を都市の人々全員に生産している。外部から輸入する必要はない。時間、無駄、エネルギーを節約する。


エネルギーについて。
エネルギーベルトは、再生可能媒体から、電力を得るシステムを稼働している。特に、風力、太陽光、地熱、気温差、そして、潮力、波力の発電である。途切れることなく供給される。再生可能な電力源は、統合されたシステムとして稼働する。地下の巨大畜電器が余剰電力を蓄え、電力を無駄にしない。そして、都市電力だけでなく、個々の建物も独立して、動力や電力を作る。太陽光発電や熱電効果、その他、現在利用されている技術を使って。
もちろん疑問はある:
まず、どうやってこの技術、資材をつくり出すのか?
これが製品を選ぶ:
産業ベルトが、修理工場などは別として、工場生産の中枢となる。すべてが現地で行われ、もちろん、原料は地球資源管理システムによって現地で得られる。住民は、自分たちの需要について話し合う。
生産機構に関しては、人類の歴史を変化させるような強力なものを議論する必要があり、そしてすべてを変えていくだろう。これは機械化とか、労働の自動化と呼ばれる。
BEROK KHOSHNEVIS博士
見回していると、現在、私たちが使っているほとんどのものが自動的に作られていることに気付くだろう。あなたの靴、服、家庭用器具、車等々...これらは、すべて機械によって自動的に作られる。社会は、これらテクノロジーの進歩には、影響を受けないか?
もちろん受ける。これらのシステムは、新しい構造や新しい必要性を生み、ゆえにたくさんの不要なものを生む。そして、私たちは発展し、ますますテクノロジーを使う。自動化し続けることは間違いない。意味のある技術を止めることはできない。
テクノロジーによる労働の自動化は、社会変革の基礎である。すきの発明による農業革命から、動力機械の発明による産業革命、エレクトロニクスとコンピューターの発明による、いま私たちが住む情報世代まで。
現在の先進的な生産方法に関しては、機械化は機械自身が発展させている。部品を組み立てて配置するという伝統的な方法から離れて、一つの行程で、完全な製品をつくる新しい方法である。
ADRIAN BOWYER博士
ほとんどの技術者のように、私は生物学に魅かれている。なぜなら技術への膨大な手本があるからだ。
生物学とは、自らをコピーするものの研究だ。人類に良い定義を与える。技術者として、自らをコピーする機械に好奇心を持ち続けている。
Rep-Rapは3Dプリンターである。すなわち、あなたのコンピューターに繋ぎ、2次元の紙に描画する代わりに、現実に物質でできた3次元の物体を作る。この3Dプリンターは、ここ30年で最も先進的なものだ。
Rep-Rapのすごい所は、自分の部品のほとんどをプリントできることだ。だから、もし、一台手に入れたら、もう一台を友達にあげられる。もちろん、他のものもプリントできる。
家庭用の製品をプリントし、自動車のボディもプリントできる。先進的で自動化された3Dプリントは、あらゆる分野の製造品に応用できる可能性がある。家の建築にも。
BEROK KHOSHNEVIS博士
Contour Crafting(輪郭技術)は、3Dプリンティングと呼ばれる組み立て技術である。
コンピューターモデルから直接、立体を作成できる。Contour Craftingを使うことによって、いずれ完全に機械のみで、一日で600平方メートルの家を作れる可能性がある。多くの人が建築の自動化に興味を持つのは、たくさんの利点があるからである。
例えば、建築は、労働集約的である。社会のある領域に仕事をもたらすが、同時に問題と混乱もある。例えば、建築現場は最も危険な仕事である。炭鉱業や農業よりも悪い。ほとんどの国で高い死亡率である。
もう一つの問題は、ゴミである。アメリカの平均的な家を立てるのに(ママ)、3~7トンのゴミを出す。莫大なゴミの量である。そして、世界の40%の原材料が建築に使われている。そして、莫大なエネルギーと資源がゴミになり、環境にも巨大なダメージを与える。
ROXANNE MEADOWS氏
ハンマーや釘など、現在のテクノロジーで木を使い、家を建てることは。とても不合理であり、アメリカの手工業のように、衰退の道を辿るでしょう。
最近の研究でMITの経済学者デビッド・オウターは、中産階級は無くなり、オートメーションに取って代わられるだろうと予測しています。
実際、すべての経済領域で機械化は、人間の労働者より生産性が高く、効率的で持続可能である。機械には、休暇、休息、保険、年金が必要ない。そして、24時間毎日働くことができる。人間の労働者と比べて、生産量の能力と精密さは比較にならない。
結論:流れ作業のような仕事は廃れ、世界中で実用的でないとされる。
現在見られる失業は、根本的に技術革新における効率の発展の結果である。市場経済学者は、何年もの間、“技術革新による失業”、と呼ばれる成長パターンを認めてこなかった。解雇された労働者を新しい分野が再吸収するように見えるためである。
今日、サービス産業だけが残された産業だ。現在80%以上の労働人口が雇われている。工業化された国では、このパーセンテージを示している。しかしながら、サービス産業界も、キオスク、レストラン、商店をオートメーション化しようとしている。経済学者達は、何年もの間、否定されてきたことを認め始めている。
それは、世界的な経済の下降にともなう労働危機によって、工業の雇用が悪化するばかりでなく、景気後退が進むと、産業は早く機械化すること、である。
気付かれていない落とし穴は、金を節約するために、より早く機械化すればするほど、人を解雇すればするほど、人々の購買力を削いでいるということである。これは、企業が、すべてをより安く作れるようになればなるほど、安いもの以外買えない人々を増やしているということである。
問題の核心は、“収入のための労働”ゲームは、ゆっくりと終焉に近づいている、ということだ。
ここで、現代の労働、そして、機械(化)された労働について、しばらく考えてみよう。
世界の労働人口の75%が、明日にでも機械に取って代わられるだろう。
ここに資源ベース経済の根拠がある。金融―市場システムはもういらない。金は存在しない。もう必要ないのだ。資源ベース経済は、機械化したことによる効率を算出し、そして、要求されることを受け入れる。今日、我々がしている戦いはない。効率と持続可能性に関心を払わないことは、無責任であるからだ。
都市システムに話を戻そう。
中央には、住宅や教育施設、交通のハブとなる中央ドームがある。ここに、都市の技術作業用メインコンピューターがある。この都市は、巨大な自動化した機械なのだ。全てのベルトには、建物、エネルギー、製造、流通などの経過を観察するセンサーがある。
人が故障などの作業を監視する必要はあるのか?
おそらくあるだろう。しかし、改善を続けながら、超過勤務は減るだろう。そして、分析すると、この仕事は、都市の3%の人で、足りるだろう。
私が保証しよう:あなたの世話をし、福利を守るように設計されたこの経済システムでは、日常的な私的独裁に、服従することはない。仕事において、まったく無意味であり、社会的に不適切だ。存在しない借金で苦しむことは、もう無くなる。
私は保証する:人々は進んで、自分の時間を自分たちのシステムの維持や向上に使うだろう。
“動機”の問題と結び付けると、もし、“生活のために働く”という外圧がなけらば、人はぶらぶらして何もしないか、怠け者になるという暗黙の了解がある。
ナンセンスだ。
今日の労働システムは、怠惰発生装置であり、解決策ではない。子供の頃の生活を思い返してみれば、想像や探究のような新しい事を理解しようと懸命だった。でも、時が過ぎるに従い、システムが金を得る方法に集中するよう急きたてた。そして、初等教育から、大学までに狭量になる。1%のの上流階級に収益をもたらすための歯車として仕える生き物になる。
科学的研究によれば、人は、創意工夫が閃く時、金銭報酬に動機づけられるのではない。創造そのものが報酬になるのだ。実は、金は、繰り返すための動機として、役立つものであり、日常の行動の役割を機械化できることを示している。
人の心を動かす実用的な技術革新を閃いたとき時、金銭的動機は創造思考を妨げたり、損(に)なったりすることが証明されている。
なぜ、ニコラ・テスラやライト兄弟、他の発明家たちが金銭的動機を少しも考えず、大変な貢献をしたのかがわかる。金は間違った動機であり、このような貢献を100倍も歪める原因となる。
(学校の教室。先生が教室に入ると、後方の席から紙飛行機やクシャクシャに丸められた紙が飛んできた)
先生:おはよう、みんな、座って下さい。
(先生は丸められた紙を拾い上げながら、)
先生:初めに、クラスのみんなに大きくなったら何になりたいか聞きたいと思います。
(生徒たちを指さし、)
先生:最初は誰かな?
(生徒たちが元気よく手を上げる)
先生:よし、サラさん?
(マクドナルドでレジの前に立つ母親を思い浮かべながら、言う)
サラ:大きくなったら、ママみたいにマクドナルドで働きたいです。
先生:家族の伝統ですね?
(頷くサラ)
先生:それじゃ、リンダさん?
(煙草を手に持って、街角に立つ自分を想像しながら、)
リンダ:大きくなったら、N.Y.の街角で売春婦をするつもりです。
先生:魅力的な女性ね? とても野心的ですね。 次はトミーくん?
(証券取引所のような場所で、携帯電話を片手に、パソコンに目をやる自分を思い浮かべている。)
トミー:大きくなったらウォール街で働く。エリートビジネスマンになって、外国経済の崩壊で儲けて、お金持ちになるつもりです。
先生:意欲的ですね。多文化共生に関心があるとはすごいわ!
[文化の犠牲者] Victims Of Culture
資源ベース経済は、社会的不安に対し、科学的解決法を用いる。これは単に、技術的な能力に制限されない。人と社会の福祉についてと、どう構成されているのかを直接考えさせる。どんなに社会制度が良くても、結局は、幸福と平和的共存をもたらさない。貨幣制度の撤去と、生費必需品を供給することが重要である。
これにより、世界中で95%の犯罪が直ちに減少する。窃盗、横領、詐欺などは無くなる。
今、刑務所にいる95%の人は、金絡みの犯罪か薬物乱用だ。しかし、薬物乱用は障害だ、犯罪ではない。
では、他の5%はどうだろう?
本当の暴力、暴力を求める、暴力のように見える・・・。彼らは本当に“悪人”なのか?
JAMES GILLGAN博士
人々の暴力について、道徳的価値判断を持ってくるのは、率直に言って時間の無駄だと考える。
なぜなら、その原因と暴力行為の予防について、私たちの理解が、少しも進んでいないからだ。
時々、あなたは犯罪者を許そうと思う? と聞かれる。
私の答えは、“ノーだ。有罪判決以外に許すことはありえない”
もし、私たちが、社会として、暴力を道徳的に“邪悪”と捉えるのではなく、公衆衛生と予防医学と同じ問題として、取り扱う姿勢をとれるなら・・・私たちが、自分の態度と前提と価値観を変えようとする時のみ、暴力を奨励するのではなく、減らすことができる。これが、今、私たちがすることだ。
JACQUE FRESCO氏
正義を求めるほど、傷つくことになる。正義と言われるようなものなど、無いからだ。虚構の概念である。それだけだ。言い換えれば、人種差別主義者になるように育てられたら、差別を支持する環境で育ったなら、どうして、その人を非難できるのか?
彼らは、特異な文化の犠牲者である。だから、助けなければならない。
私たちは、異常な行動が起きる環境を、設計し直さなければならない。
これが問題である。人を投獄することではない。裁判官や弁護士の言う“選択の自由”、そんな概念は危険である。誤った情報を与えるからだ。
あいつは“悪人”だ・・・ あいつは“連続殺人犯”だ。
連続殺人犯は作られる。兵士が機関銃で、連続殺人者になるように。兵士は殺人兵器になる。誰も彼らを、殺人犯や殺し屋とは見ない。それは“自然”だからだ。
そして、私たちは人を責める。
「この男はナチで、ユダヤ人を拷問した」
ちがう。ユダヤ人を拷問するように育てられたのだ。
個人的な選択と、選択の自由について考えてみると、選択する自由とは、影響を受けずに選択すること、という意味になり、私は、それを少しも理解できない。我々の選択は全て、文化、両親、支配的な価値に影響される。そう、影響されるのだ。だから、“選択の自由”はありえない。
最も素晴らしい国はどこだろう?
本当の答えは:「すべての国へ行ったことはないし、この質問に答えるだけ、異文化を理解していない。」
このように答える人を私は知らない。
「古き良きアメリカだ!」 「世界で一番素晴らしい!」 そこに客観性はない。
「インドへ行ったことは?」 「いいえ」
「イギリスへは?」 「いいえ」
「フランスへは?」 「いいえ」
「では、何を前提に決めたのですか?」
彼らは答えられず、あなたに苛立つ。
「ちくしょう! 何様のつもりでこんなことを言うんだ?」
忘れないで。倒錯した人々を論じているのです。彼らに答えの責任はない。自らの文化に影響を受けているという意味で、彼らは文化の犠牲者なのだ。
by takelo | 2011-09-12 23:00 | ツァイトガイスト運動 | Trackback | Comments(0)

